歴人マガジン

中国の青島(チンタオ)で、三国志の珍オブジェを発見!【哲舟の歴史よもやま取材ルポ15】

青島(チンタオ)ビールは知っていても、青島が中国のどのあたりにあるか、意外にご存じない人が多いようだ。地名とは裏腹に「島」ではなく、海に突き出た山東半島の一部にある町だからであろうか。去る2年前、2014年に訪れた青島での「珍発見」を紹介したい。

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これが青島の場所。距離的には日本からも非常に近く、また海沿いにあるため気候も日本とよく似ている。夏は中国各地から多くの観光客が来る。ちなみに三国志の時代には曹操が黄巾の大軍を下したことで名高い「青州」にあたる場所だ。

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最初の写真からも分かる通り、町並みにはオレンジ色の屋根がついた洋風の建物が目立つ。これは、青島がかつて(1897~1914年)ドイツ軍に占領され、ドイツ人が大勢起居していたことにちなむ。当時の建物が取り壊されることなく、旧市街地に残っているのだ。

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そのような事情があるため、こうした教会もたくさん建っていて、青島の住民には西洋人だけでなく中国人のキリスト教徒も多い。この日は結婚衣装を着た夫婦の撮影が行われていた。この風景だけを見ると中国とは思えない。

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実はちょうど100年ほど前、第一次世界大戦で日本とドイツが、ここ青島を戦場として激闘を繰り広げた。町の高台、青島山にはビスマルク砲台を模した大砲が復元されている。

さて、そろそろ本題である三国志関連のオブジェを紹介しよう。それらが見られるのは海岸沿いにある海趣園という公園だ。ここは彫刻の公園ともいうべき場所で、主に中国の故事にちなんだ人物などの像がたくさん建っている。

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そのひとつが、「曹沖(そうちゅう)、象の重さを測る」というものだ。曹沖は曹操の息子。非常に聡明な子であり、曹操にとても可愛がられたが、13歳の若さで亡くなってしまった。そのエピソードとは、あるとき孫権から曹操の陣営に動物の象が贈られてきた。曹操は象の大きさに驚き、この動物の重さを臣下たちに訊ねたが、誰ひとりとして答えられない。

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そんな中、曹沖は「象を船に乗せれば、重さで船が沈みます。その水面の位置に印をつけ、象を下ろしてから、先程の印と同じ高さになるまで重しを乗せます。それで象の重さが分かるでしょう」と答えた。曹操はその賢さに大いに喜んだという。だが今や、この船は地元の子供にとって登って遊ぶのにちょうどいいらしい。

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その近くに、「孔融(こうゆう)、梨を譲る」(孔融譲梨)の像がある。これは山東省出身でもある孔融が幼い頃、大きな梨を兄たちに譲り、自分は小さな梨を選んで食べた。それを見た父が「お前には弟もいる。では弟に代わって大きい梨を食べなさい」と言うと、孔融は「私は兄ですから大きいのは弟に残してあげるべきです」と答えたことにちなんでいる。人を敬う心は幼い頃から身に付けるべきという教えである。

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曹沖や孔融は三国志の中でも活躍の機会が少なく、かなりマイナーな人物だ。それもあって、このふたつのエピソードは日本ではあまり知られていない。しかし、中国の小学校では必須教育とされており、三国志は読まなくとも必ず教えられるそうだ。眺めているうちに、女の子が来て孔融の手の上におもむろに登り始めた。偉人の像も子供たちにとっては遊びのオブジェでしかないのだろう。

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すぐ脇には南宋の英雄・岳飛(がくひ)の像もあった。これは岳飛が背中に「尽忠報告」の四文字の刺青を母に刻んでもらっているところ。

青州は三国志の主要な舞台ではないため、三国志好きにはほとんど注目されない。三国志がらみの史跡もほとんどない。しかし、予測もしていなかったようなこういう場で三国志の人物のオブジェが見られるのは新鮮な驚きと喜びがある。

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余談ながら青島は海沿いの町だけに海産物が名物で、めっぽう美味である。

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だが、ヒトデを焼いたものが多くの店で売っていて、これだけはどうしても食べる気になれなかった・・・。

※後編へ続く(後編では青島ビールと、青島で見た関帝廟・関羽像を紹介します)

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