今回の主人公は今やアニメやゲームで人気の戦国武将、伊達政宗です。
彼は幼い時天然痘という病気にかかり右目を失明しますが、その困難を見事乗り越え、最盛期には自らの居城である米沢城を含む宮城県、山形県の一部、福島県の南東北をほぼ手中に治めるほどの大大名になります。
また、勇ましさがある一方で文化人でもあり、特に料理に関しては人一倍思い入れがあったようで、「戦国一のグルメ武将」とも評されます。ここでは彼が起こした戦国時代の食文化における革命を2つばかりご紹介します。
日本で最初に味噌の量産化に成功した伊達政宗
1601年に伊達政宗が仙台城に移ると、領内の発展と軍用のため、大規模な味噌を醸造する蔵を作ります。これは当時の城下町を描いた絵図にもしっかりと描かれており、日本で初めての味噌を工業的に量産する施設であったことが伺えます。こうして作られたのが現代にも伝わる仙台味噌であります。
仙台味噌は赤褐色の光沢があるのが特徴です。一説にはとても日持ちがよく、秀吉の朝鮮出兵の折、真夏の暑い中他の武将の味噌が次々と腐敗していったのに対し、政宗の味噌だけは腐敗せず、重宝されたという逸話が残ります。
豪華絢爛!政宗が配色までこだわった60品目のおせち
正月において雑煮を食べる習慣が始まるのが、室町時代です。戦国時代には、ほぼ全国で雑煮が食べられるようになっていました。しかしこの頃はまだ武士の料理であり、一般庶民に広がるのは江戸時代からです。政宗の雑煮はアワビ、ナマコ、ニシン、ごぼう、豆腐、黒豆、角餅であったと言われています。
同じように政宗はおせち料理にもこだわっていて、鯨や白鳥の肉など現代では珍しいものを含め、60種類以上の食材を使っていたようです。また料理の色まで配慮していたようで、白・黄色・黒・緑・赤の陰陽五行説に基づいた配色がなされていました。このような現代に近いおせち料理を食べていたのは、おそらく伊達政宗が最初ではないでしょうか。
普段の食事は質素だった政宗、食事についての名言とは
このように料理の細部にまでこだわり、豪快な料理を考え出す伊達政宗ですが、普段の食事は大変質素であったといわれています。
彼の名言に「朝夕の食事うまからずともほめて食うべし」というものがあります。
意味は、たとえ食事が自分の意に添わずあまり美味しくなかったとしても「うまいうまい」とほめて食べれば案外おいしく食べられるものだという意味だそうです。
現代にも偏食の方がおられますが、案外食わず嫌いということも多くあるのではないでしょうか。「これはとても美味しい」と自己暗示をかけて食べれば、意外と美味しく感じるということもあるかもしれませんね。
参照元:仙台空港オンラインショップ http://www.soramiyagetei.com/