6月1日は「写真の日」というのを知っていますか? この記念日は日本だけですが、なぜ6月1日が写真の日かというと、1841年6月1日に、初めて日本人による写真撮影の記録があったからだそう。(ちなみにその時に撮影されたのは島津斉彬という話です)
その後、記録が誤りだったことが分かりましたが、記念日だけは残り、以後6月1日は「写真の日」とされています。
では、本当に日本で初めて写真撮影がされたのはいつだったのでしょうか?
日本に写真の技術が持ち込まれたのは江戸時代
江戸後期の1839年、フランス人写真家のダゲールが銀板写真(ダゲレオタイプ)を開発したことから、銀板を使用した写真の歴史が始まります。
その4年後の1843年、長崎に着いたオランダ船が写真機材を日本へ持ち込んだことで、侍の世だった日本に当時世界最先端の技術が導入されました。
現存している日本最古の写真は、
・「松前藩主席応接使 松前勘解由」(松前町所蔵)
・「松前藩士 石塚官蔵と従者像」(函館市所蔵)
・「藩士 遠藤又左衛門」(個人所蔵)
・「田中光儀像」(個人所蔵)
などと言われています。
この写真を撮影したのは、アメリカ・マサチューセッツ州出身の写真家で版画家のエリファレット・ブラウン・ジュニア。
エリファレットは嘉永6~7(1853~54)年に日本へ開国を迫りに来たペリー提督のアメリカ艦隊の随行員の一人であり、アーティストとして雇用されていました。
彼は2年間の日本遠征の中で、約400枚もの写真を撮影しているとされています。現存しているのは僅かですが、「日本最初の撮影」は最初に立ち寄った当時琉球王国の沖縄での撮影だったとか。
琉球王国の一般民衆を撮影したと伝えられていますが、当時の琉球の方々の生活の写真も残っていたら見てみたいですね。
その後、明治へと変わる直前の1860年初頭に、ボストン出身の写真家であり実業家のオリン・フリーマンが横浜で日本発の写真館を開きます。
日本人初の写真家とは?
それでは日本人初の商業写真家はというと、そのオリン・フリーマンの元で写真術を学んだ鵜飼 玉川(うかい ぎょくせん)だとされています。
鵜飼玉川は江戸薬研堀で写真館を開きますが、当時は様々な日本人が舶来の最新技術であった写真に注目しており、同時期に何人もの写真家が誕生し複数の写真館が誕生しています。
医学であった蘭学から写真に興味を持った上野彦馬(うえの ひこま)もその一人で、西南戦争の戦跡を写真に収めていることから上野彦馬は「日本初の戦場(従軍)カメラマン」とも呼ばれています。
日本初の天体観測写真を撮影したり、ウラジオストクや香港など海外でも自身の写真館の支店を持ったり、後進の指導にあたったりと上野彦馬は日本の写真術の発展に大きく寄与しました。
高杉晋作など多くの志士を撮影してきた上野彦馬の代表作として有名な写真は、日本人ならば誰もが一度は目にしている「坂本龍馬肖像写真」ですが、この写真は上野彦馬の写真館で撮影したものの、実際には弟子の井上俊三が撮影した写真であるという説も。
写真がアートとなったのは?
幕末から明治維新頃の写真とは、単に「人物や文化、背景を記録するモノ」でした。
しかし、1904年にアマチュア写真家の団体「東京写真研究会」の前身である「ゆふつヾ社」が結成され、次第に記録目的だけではなく絵画のようなメッセージ性やアート性を持つ芸術写真が生み出されていきます。
1904年頃から写真展が開催され始め、多くの芸術写真家が誕生。写真がメインの雑誌も発刊されるようになります。
その後、日本の写真術は海外の影響を大きく受け続け、世界大戦の流れから次第に「報道写真」が主流となります。
世界的に権威のある賞のピューリッツァー賞の写真部門でも、沢田教一や酒井淑夫といった日本人受賞者を輩出。
日本人が撮影した一枚の写真が国際的な影響を与えるまでになったのです。