東京都の卸売市場で規模最大を誇るのが「築地市場」です。
今年の11月7日に豊洲市場が開場予定でしたが、どうやら延期になってしまうということで話題になっています。
移転に合わせて現在の築地市場は解体されることになりますが、改めて築地市場の歴史を簡単に振り返ってみましょう。
はじまりは江戸の台所として
徳川家康は江戸幕府を開くと、江戸の台所をまかなうために大坂(当時は豊臣政権が主力のため、大阪が経済の中心だった)から漁師たちを呼び寄せます。漁師たちは獲れた魚を幕府へ献上するとともに、余った魚を日本橋界隈で売るようになりました。
これが魚河岸と呼ばれ、現在の東京都の市場の始まりとされています。
明治維新後になると近代化の波が押し寄せ、人口は増大し、業者の数や取扱量が増していきます。それにより取引価格の乱れや不衛生な状態と陥りました。
そこで、大正12(1923)年3月に「中央卸売市場法」が制定され、卸売市場は東京市(当時)が管理・運営・指導を行うようになりました。
関東大震災後に築地へ移転
しかし、卸売市場を公正なものにしていこうと動き出した矢先、大正12(1923)年に関東大震災が首都を直撃、魚河岸も再建不能となってしまいました。
震災直後には芝浦に仮設市場が設けられましたが、交通の便が悪く、隅田川や汐留駅があって水運・陸運に優れた築地を海軍から借り受けて市場を再開しました。これが築地市場の誕生といわれています。
震災の復興を経て、昭和10(1935)年に東京都中央卸売市場が開設されました。
間もなく太平洋戦争が始まり、食糧が配給制となるのを受けて、その本来の方向性を失ってしまいます。
その後、戦後の高度経済成長を受けて、道路整備やトラックを使用することによる交通の便の改善、冷凍技術の進歩など、首都圏の流通拠点の中心として築地市場は進展してきました。
長年に渡り、首都圏の食生活を担ってきた築地市場。豊洲への移転後も、場外市場はそのまま残ります。
移転によって、築地でも豊洲でも、また新しい歴史が受け継がれていくのでしょう。
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