7月26日は「幽霊の日」です。これは1825年7月26日、江戸にある中村座にて四代目鶴屋南北作の「東海道四谷怪談」が初演されたことに由来しています。
そんな「四谷怪談」をはじめ、日本に残っている怪談話の中には、殺された女性の怨霊が祟り続ける怪談話が多く存在します。女性の社会的な地位が低かったのもありますが、人間関係の中で男性が女性を恐れていた一面もあるのか、女性の怪談話は何百年も長く長く語り継がれており、人気を博しています。
そんな日本で有名な怪談話ですが、一体どんな内容なのかよく知らない方も多いのではないでしょうか?今回は有名な怪談話のあらすじを改めてご紹介します。
累ヶ淵(かさねがふち)
下総国岡田郡羽生村の百姓である与右衛門(よえもん)は、「助(すけ)」という名の子供を連れたお杉という女性を後妻に迎えます。
しかし、与右衛門は外見が醜く足も不自由であった助が、どうしても気にいりません。助が邪魔だと思った与右衛門は、川へ幼い助を投げ捨て、殺してしまいます。
助が死んだ翌年、与右衛門夫婦は娘を授かります。「累(るい)」と名付けられた娘は、どう見ても死んだ助と瓜二つ。周囲の村人は「死んだ助とかさなる」と話し、累を「かさね」と呼ぶことに。
その後、与右衛門もお杉も立て続けに無くなり、一人になった累は病気で苦しんでいた谷五郎(やごろう)を看病し、父の名前を継がせ婿にとりました。しかし、谷五郎は世話になったものの、累の醜い姿に我慢ができず殺害し、ほかに嫁をもらいます。
けれど、谷五郎の所へ嫁いできた女たちは次々と死んでいく怪奇現象が。
6番目の後妻であったきよとなんとか生活を続けることができ、菊という娘にも恵まれました。しかし、幼い菊の体に累がとり憑き、谷五郎が今まで行ってきた非道な行為を暴露し、菊の体も苦しめます。
それを近くに滞在していた浄土宗大本山増上寺36世法主の祐天上人が聞きつけ、累と助、2つの霊を解脱させたというお話です。
四谷怪談
四谷に住んでいた御先手鉄砲組同心・田宮又左衛門の娘、岩は性格にも外見にもちょっと問題ありの婿が来ない一人娘。
浪人だった伊右衛門は仲人に騙され、岩と結婚し田宮家へ入ります。しかし、伊右衛門は醜い岩に不満。
また、伊右衛門は上司である喜兵衛の妾に好意を抱いており、一方、喜兵衛は喜兵衛で子供を宿した妾を鬱陶しく感じていました。
伊右衛門と喜兵衛は結託し、喜兵衛の妾を伊右衛門に宛がい、岩を騙して田宮家を乗っ取ると岩を家から追い出します。騙されたと知った岩は発狂し、失踪。
しかし、岩の失踪後に田宮家では不幸が続いたため田宮家は断絶し、田宮家の跡地でも怪奇現象が頻発します。
岩の祟りだと考えた人々は、於岩稲荷を建立し岩の霊を供養しました。
現在でも四谷には「於岩稲荷田宮神社」が存在しています。
番町皿屋敷
火付盗賊改だった青山播磨守主膳の屋敷で奉公している菊という下女が居ました。
正月二日、菊はうっかり主膳が大事にしていた皿10枚の内、1枚を割ってしまいます。主膳の嫁は菊を拷問したものの、主膳の怒りは収まらず、菊の中指を一本切り落とした上で「手打ちにする」と言い放ち牢へ監禁してしまいます。
菊は必死で縄が付いた状態で牢から逃げ出し、庭にあった古井戸へ身を投げます。
その後、身投げした古井戸からは夜な夜な「一枚、二枚・・・」と女の声がするようになります。
更に、主膳の嫁が産んだ子供には、中指がありませんでした。
この怪奇現象は、公儀の耳にも入ることになり、主膳は所領を没収します。が、主膳が没落した後も女の声は聞こえ続けたのです。
そこで菊の霊を鎮めるため、小石川伝通院の了誉上人が読経を行っていたところ、古井戸の方から「一枚、二枚・・・」という女の声が。
女の声は数え続け、「八枚、九枚」ときたところで上人が「十」、と付け加えると「あらうれしや」と返し、消えたといいます。
現在も語り継がれる女性の怨霊たち
いかがでしたか?日本の怪談における女性って、どこか共通点を感じますね。脳や浮世絵、舞台、映画、文学作品など様々な媒体へメディアミックスされた彼女たち。史実に忠実な部分も、完全なフィクションの部分もありますが、今回紹介した彼女たちには神社や井戸などといった跡地が残されています。恐れられた反面、ある意味愛されている、とも言えますね。
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