重要な文書や、誰かに宛てた手紙、自分が描いた作品・・・
様々なシーンで使用される「署名」ですが、日本や中国には自身のサインを絵のようにデザインした「花押(かおう)」というサインが存在します。
大河ドラマの書状なんかでもチラっと映ったりして、気になった方も多いのではないでしょうか?
今回は、そんな花押について調べてみました。
日本における花押の歴史
日本の花押の始まりは、平安時代。
署名者と他者を区別するために、草書を崩した図柄のようなサインが生み出されたとされています。
鎌倉時代以降、武士たちの間で文書のやり取りが増えると、武家様(ぶけよう)と呼ばれる武士特有の形状や署記方法が生まれました。(貴族の花押の様式は公家様という)
本来は実名をもとに作っていましたが、鎌倉以降は、名前関係なく父祖や主君の花押を模倣する傾向もあったようです。
実際に、歴史上の偉人たちはどんな花押を使っていたのでしょうか?
日本の偉人たちの花押はどんなもの?
それでは、まずは有名な偉人たちの花押をみてみましょう。
織田信長の花押は麒麟(きりん)の「麟」の字をかたどったデザインです。
麒麟は、古代中国の想像上の生き物で、天下泰平の世にしか姿を見せないと言われていました。
信長がその麒麟をモチーフにしたのには、自らが天下を平定しようという意気込みがあったとうかがわれます。
豊臣秀吉の花押も同じような意味が込められています。
豊臣秀吉の花押には「悉国平定」の「悉」文字が隠されていると言われています。
「悉」には「秀吉」の字を反切(はんせつ)という、漢字二文字で漢字音を表す方法が用いられています。
「国平定」は「国を平静な状態にする」ということなので、信長の付け方をまねたのかもしれませんね。
他にも、いわゆる「筆まめ」として有名な伊達政宗が使っていたセキレイをモチーフにした花押も有名です。
戦国時代には、文字だけでなく動物をモチーフにするなどしたユニークな花押も登場。
それぞれの個性が出ていておもしろいですね。
徳川家にみる花押のパターン
15代続いた徳川将軍ですが、徳川家の花押はパターンがあります。
まずは初代将軍・徳川家康の花押
そして2代将軍・徳川秀忠の花押
5代将軍・徳川綱吉の花押
・・・パターンが見えてきました。
家康から13代目の家定まで、徳川家の花押はこのパターンで統一されています。
では、最期の徳川将軍・15代慶喜の花押は?
15代将軍・徳川慶喜の花押
おーいっ!!w
・・・最後の最後でパターン一切無視。思い切り変えてしまいました。
慶喜らしいといえばらしいのですが。
変り種花押いろいろ
ほかにも見た目が面白いものがたくさん。
浮世絵の大家・雪舟の花押は絵のようなデザインでした。
蘭学医の杉田玄白の花押は、絵というよりも見事なゆるキャラ。
平安時代から現在まで、多くの偉人・著名人が使用してきた歴史のあるサイン、花押。
実は、現在でも閣僚会議で決定した法律には、各閣僚が花押をサインするという慣習が続いています。
皆さんも世界に一つだけの「自分の花押」を作ってみては?