「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った」
小さい頃、約束をする時に指切りげんまん(指切拳万)をしたことがある人は多いのではないでしょうか。
日本人の大半は知っている指切りげんまんの歌。改めて見ると「針千本飲ます」「指切った」など、なかなか穏やかではない歌詞です。
なぜこんな歌詞なのか、そもそも約束をするときに何故指を切るのか、ふしぎに思ったことはありませんか?
その「ふしぎ」への答え、調べてきました!
日本の「指切り」の歴史はいつから?
「指切りげんまん」の前に、指切りそのものの歴史を見てみましょう。
日本の歴史上において「指を切って責任をとらせる」という意味での指切りは、鎌倉時代『吾妻鏡』に書かれています。
戦いの中で同士討ちをしてしまった武士が、右手の指を切られる「指切の刑」に処されたのだとか。
女性が指を切られることもあったようです。
室町時代には粗悪な悪銭でも使うよう撰銭令が発布されました。そこには、「違反した者は、男なら斬首、女なら指切り」と定められています。
女性にとっての指切りは、死にも相当したのかもしれませんね。
命がけの恋の誓いだった「指切りげんまん」
いよいよ「指切りげんまん」の歴史に迫ります。
発祥は、江戸時代の吉原と言われています。
多くの男性客を相手にする吉原の遊女も、ひとりの人間。
「あなただけは特別」という心からの愛を宣誓する時に、己の小指を切って送ったのだとか。
この遊女の風習である指切りが一般にも広まり、約束を破ったときはげんこつ1万回を意味する「げんまん(拳万)」、さらに「針千本飲ます」と内容がつけ加えられて現在に至る、と言われています。
ちょっと待った!その遊女の指、偽物かも?
とは言え、遊女が送る大半の「小指」は作り物でした。
金払いの良い客や、足が遠のいてる客を繋ぎ止めるために、職人に「指」を作らせてそれを送り、「私にはあなただけ」と囁く・・・そんなことも少なくなかったようです。
現代でも様々なお店で「お客様だけに!」というセールストークは行われます。
気持ちよくてついつぎ込んじゃったけど、実は特別扱いでも何でもない、偽の「愛」だったかも?
騙されないよう、肝に銘じておきたいですね。
「死んだらごめん」は本当にあった?
ちなみに、「指切りげんまん」の歌には続きがあったといわれます。
その続きは「死んだらごめん」。
もし守れなかったとしたら、それは死んだとき、という意味で、江戸っ子の間では歌の最後に念押しで加えられたそうです。
それだけ約束を大事にしていたということですね。
指は切らなくてもいいですが、現代でも約束事をするときはそれくらいの覚悟をもってもらいたいものです。
(Sati)