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【 徳川御三家 】将軍は出なかったけど個性的だった!?尾張藩主たち

名古屋城のシャチホコ。

みなさんが「名古屋」で連想するものといえば、なんでしょうか。日本史を語るうえで欠かせないのが、金のシャチホコを天守にかかげた名古屋城。そして、「尾張名古屋は城でもつ」というフレーズで知られるように、この城を居城とした江戸時代の藩が、61万9500石の藩高を有した尾張藩です。徳川御三家筆頭でありながら将軍を出すことはありませんでしたが、なかなか個性的な藩主が揃っていました。今回はその中でも特に際立つ3人をご紹介します。

超まじめ?初代・義直

初代藩主・徳川義直。

現在の名古屋市周辺は、戦国時代より東海道の重要拠点だったことから、関ヶ原の合戦後、徳川家康はこの地に、自らの四男にあたる松平忠吉を配置(当時は清須城)します。
しかし、23歳の若さで病没したことから、慶長12年(1607)に甲斐国(現在の山梨県)より、九男の徳川義直を移封。これが徳川御三家筆頭である、尾張藩のはじまりとなります。

徳川家康が義直のために天下普請によって築城したとされる名古屋城。

では、初代藩主・義直がどんな人物だったかというと、ひと言でいえば「超まじめ」。日頃から質素倹約を心がけ、文武両道を愛する名君として尾張藩の基礎を築きました。
また、学問好きでも有名で、特に大好きだったのが儒教。その教えを藩内にも奨励し、城内に孔子廟まで建ててしまいました。そして、儒教好きの影響から、天皇を尊崇する尊皇思想を強くもつようになりましたが、これが幕末に至るまで、尾張藩の藩政に大きな影響を与えることとなります。

超ど派手?7代・宗春

7代藩主・徳川宗春を演じた
役者を描いた『夢の跡』の一頁。

超まじめな初代藩主からはじまった尾張藩ですが、それとは対照的に「超ど派手」な行動で有名なのが7代藩主・徳川宗春です。元禄9年(1696)に3代藩主・綱誠の二十男として生まれましたが、享保15年(1730)、兄である6代藩主・継友の急死によって思いがけず藩主となります。

宗春はある意味、初代以上の名君としてらつ腕をふるいました。当時は、8代将軍・徳川吉宗により、質素倹約・規制強化をモットーとした享保の改革が断行されていましたが、宗春はこれを批判し、藩内に自由な経済政策を推奨したのです。
その結果、一時的ではあるものの、「名古屋の繁華に京(興)がさめた」と称されるほど、名古屋の町は大いに繁栄しました。また、犯罪者を処分するのではなく、犯罪を起こさない町造りを目指した点も画期的でした。

宗春と対立した8代将軍・徳川吉宗。

ところが、吉宗の政策と真っ向から対立した宗春に、幕府は激怒。その結果、元文4年(1739)、宗春は隠居謹慎を命じられ、以後、名古屋城内に幽閉されます。さらにその死後も、墓石に金網がかぶせられるという、なんとも陰湿な処分を受けることとなりました。

幕末の名君14代・慶勝

14代藩主・徳川慶勝。

そして、幕末の尾張藩を率いた名君として知られるのが、14代藩主・徳川慶勝です。尾張藩の支藩である美濃高須藩(現在の岐阜県海津市)出身の慶勝は、嘉永2年(1849)に宗家である尾張藩を相続すると、藩政改革に着手し、大きな成果をあげます。

また、初代の尊王思想を継承し、当初、外交面では攘夷の立場をとったことから、幕府が推し進めた日米修好通商条約の調印に反対。将軍継嗣問題でも大老・井伊直弼と対立した結果、幕府より隠居謹慎を命じられ、弟の茂徳に藩主の座を譲ります。

15代藩主・徳川茂徳。

その後、謹慎を許されると、公武合体運動に尽力し、大政奉還後には新政府の議定に就任。さらに徳川御三家筆頭という立場を買われ、幕府側との交渉役として活躍するなど、明治政府の樹立に大きく貢献していきました。

ちなみに慶勝と茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬は兄弟で、「高須四兄弟」とも称されました。そのため維新後には、朝敵となった容保、定敬の助命に奔走し、明治11年(1878)、四兄弟で再会を果たしています。

慶勝によって助けられた松平容保(左)と松平定敬(右)。

このように個性豊かな藩主に率いられ、歴史のさまざまなターニングポイントを彩った尾張藩。そうした伝統の息吹は、東京とも大阪とも異なる、独自の文化を発信する現在の名古屋にも受け継がれている?のかもしれません。

名古屋城の新スポット「金シャチ横丁」が3月29日(木)にオープン!
名古屋城正門側にできる「義直ゾーン」。
(写真提供:名古屋城)

名古屋城に新たな「城下町」が登場!?その名も「金シャチ横丁」が名古屋城正門側と東門側の2箇所にオープンします。
正門側は尾張藩初代藩主・徳川義直にちなんだ「義直ゾーン」。純和風の街並みには、味噌煮込みうどんやひつまぶしなど、老舗・定番の「名古屋めし」が出店。東門側は派手好きで知られる7代藩主・徳川宗春にちなんで命名された「宗春ゾーン」。モダンなデザインの建物に、あんかけスパや台湾まぜそばなど、新進気鋭のショップが登場します。
藩主の名前がついた地元愛のある施設。ぜひチェックしてみてください!

お問い合わせHP:金シャチ横丁
http://kinshachi-y.jp/

(スノハラケンジ)

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