「一休さん」といえば、誰でも一度はその名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。しかし、そのモデルとなった一休宗純(いっきゅうそうじゅん)については詳しく知らないという方も多いかもしれません。一休は室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で、後小松天皇の落胤(らくいん)といわれている人物。『一休和尚年譜』によれば、高官の血筋だった母は天皇の寵愛を受けたものの、帝の命を狙っていると流布され宮中を追われたとされています。そんな生まれの一休とは、どのような人物だったのでしょうか。
今回は、一休宗純の人物像と、女性弟子の森侍者(しんじしゃ)との関係性について解説します。
一休宗純はとんでもない人物だった!
「一休さん」はアニメや絵本の題材として取り上げられることも多く、「屏風の虎退治」や「このはし渡るべからず」などの頓知話が有名ですよね。実際の一休もまた、僧侶らしからぬ逸話や著書を残しています。
禁じられた行動をする僧侶
一休は、仏教で禁じられていた飲酒や肉食をしていただけでなく、男色や女犯もしていました。さらに、師が認めた弟子に与える印可の証明書や由緒ある文書を焼いてしまうなど、かなり型破りな行動を起こす人物だったようです。
本願寺第8世宗主の蓮如と親交があり、彼の留守中に部屋に上がり込んで、阿弥陀如来像を枕に昼寝をしたという驚くべき逸話も残されています。どう考えても激怒されそうな行為ですが、蓮如は怒るどころか「俺の商売道具に何をする」と言い、二人で笑い合ったのだとか。蓮如といえば一向宗のリーダーとして有名ですが、どちらも枠に囚われない僧侶という意味では似ているのかもしれませんね。
また一休には、街を歩く際に木製の大太刀を差し、風変わりな格好をしていたという逸話もあります。これには「鞘に収めてあると荘厳に見えるが、抜刀するとただの木刀である」という意味が込められており、体裁にこだわる世間を風刺した行動でした。こうした風刺の背景には、当時の禅宗のあり方が関係していたようです。
この頃の禅宗は室町幕府に庇護されており、僧侶たちが漢詩の上手さを競う貴族のサロンのようになっていました。つまり世間のイメージと本当の姿に大きなギャップがあったのです。一休はこのような虚構に嫌悪感を持ち、常識に囚われない自由な禅の神髄を示そうとして、これらの行動を起こしていたと考えられています。
『狂雲集』は破廉恥な漢詩集?
一休には『狂雲集』『続狂雲集』『自戒集』『骸骨』などさまざまな著書がありますが、上下2巻と続1巻にまとめられた詩集『狂雲集』では、自らの型破りな生活が赤裸々につづられています。
特に女性との性描写については生々しく、漢詩の厳かなイメージとはかけ離れているといえるでしょう。その一方で、もちろんこれにも意味があります。この漢詩集は破戒や自己嫌悪といった側面、また仏教の求道者としての自分を詠む一方で女色に溺れる姿を描くなど、尋常一様ではない世界観の広がりが特徴になっているのです。
常識からかけはなれた言動をとる一休は畏敬の念を持って見られ、世間から「風狂」と言われていました。風狂とは主に禅宗で重要視されるもので、仏教本来の戒律から逸脱した行動を破戒として否定的に捉えず、悟りを表現したものとして肯定的に評する言葉です。これは禅宗と同時に日本に伝来し、一休はその代表者だといわれています。一休自身も己のことを「狂雲」と号しており、これが詩集名の由来にもなっています。
一休と愛人・森侍者
一休には森侍者(しんじしゃ)という盲目の弟子がいました。残されたエピソードからすると弟子というより愛人といった側面が強いのですが、二人はどのような関係にあったのでしょうか。
一休と盲目の女性の恋
森侍者は30代半ばの女性で、一休が70代後半のときに出会いました。もともと彼女は盲目の旅芸人でしたが、大坂・住吉大社の薬師堂で一休に見初められ庵に迎えられたといわれています。一休は彼女の手をひいて庵の周辺を散策すると、夜は男女の関係を持ちました。前出の『狂雲集』の中に「美人陰有水仙花香」という漢詩があり、ここでは二人の情事がありありと表現されています。
僧でありながら同棲していた?
京都府京田辺市の甘南備(かんなび)山の麓に、晩年の一休が再建した「酬恩庵」という寺があります。別名「一休寺」と呼ばれ、彼は87歳でこの世を去るまで森侍者と共にここで過ごしました。一休は80歳で臨済宗大本山・大徳寺の住職にもなっています。
彼女と出会ってからの一休は、それまでの過激さがなくなり優しくなったそうです。森侍者との関わりで仏の道に近づいたということかもしれませんね。
僧と女の禁断の恋
今の常識では考えられないようなエピソードが多い一休宗純。晩年になっても77歳で女性と同棲するなど、まさに型破りな生涯を送った僧侶でした。そんな彼の人間くさい生き方が民衆の共感を呼び、江戸時代には一休をモデルにした頓知「一休咄」が登場しました。それが紙芝居や絵本の「一休さん」となり、現代へと伝わっていったのです。
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