チャンネル銀河で放送中の韓国歴史ドラマを100倍楽しむために知っておきたいトリビアを韓国取材歴12年の編集者・露木恵美子さんが、5つのポイントでご紹介! 第1弾は「宮廷女官 チャングムの誓い」です。
ポイント① 医女と女官はどっちが偉い?
「冬のソナタ」から始まった日本での韓国ドラマブーム。今では、高句麗、新羅、李氏朝鮮王朝時代などを描いた韓国歴史ドラマにまで、その人気は及んでいる。その火付け役となったのが、「宮廷女官 チャングムの誓い」だ。16世紀初頭の朝鮮王朝を舞台に、宮廷に入ったヒロイン・チャングムが、王から“大今長(偉大なるチャングム”の称号をもらうまでの波乱に満ちた半生が描かれている本作。日本初放送されてから10年経った今もなおTVで放送され、ドラマの中に登場した宮廷料理のような、上品な韓国料理を好む人々が増えていくなど、相変わらずの人気を誇っている。
日本の時代劇に比べると、衣装や小道具の色使いが華やかで、それらを身に着けた美女たちの登場にホッコリさせられるが、一方では主人公が次々と困難を克服していく姿がスピーディに描かれ、「次週はどうなるの?」と思わせるハラハラドキドキな毎エピソードに、どんどん惹きつけられていく。
物語の前半は、チャングムが王の食膳を準備する台所=水剌間(スラッカン)で身分の高い尚宮(サングン)を補佐する役割を担うが、一度奴婢へと降格する。後半は、医学に関するずば抜けた情報量と正義感で、医女となって再び宮廷へ戻り、王を診察するようになっていく。医者といえば、今の時代、社会的地位が高いが、男女の立場の違いが明確だった当時の宮廷では、男性の医師が直接女性を診察することは禁止だった。人の体に触れる職業は卑しいとされていたため、医女制度が誕生した。
医女は賤民・奴婢階級から選ばれ、小さいころから修行を積み、女性皇族や女官たちを診察するようになった。医女として宮廷の女官になったとしても、奴婢であることには変わりはなく、他の女官たちの方が位が上で、彼女たちの言うことを聞かなければいけなかったという。
当時の宮廷には、様々な部署があり、主に男性が勤務する内禁衛(ネグミ)(王の護衛隊)や内医院(ネイウォン)(宮廷で診療を行う所)ほか、水剌間(スラッカン)や退膳門(テソンカン)(食膳を配膳したり下げたりする所)など、女性が請け負う仕事が数多く存在した。女官は全員王の女とされ、他の男との恋愛は許されなかったが、王の寵愛を受け、子供を身ごもれば、側室に出世することもあった。女同士が嫉妬し、張り合うところは、江戸時代の大奥と似ている。「宮廷女官 チャングムの誓い」は、武力を使った男たちより壮絶で、女たちのプライドを懸けた縄張り争いも面白いポイントでもある。
ポイント② 女官になる倍率は?
50%の視聴率を超え、韓国内だけではなくアジア中で大ヒットした「宮廷女官 チャングムの誓い」。「朝鮮王朝実録」の「中宗実録」に、チャングムが王の主治医を務めたとされる記述からヒントを得て作品が誕生した。時代劇の巨匠と呼ばれるイ・ビョンフン監督作で、本作によって、チャングムは誰もが知る人物となった。「ホジュン宮廷医官への道」で成功を収めていたイ監督は、医療に関する似たような物語に差別化を図るために、「~チャングム」には、“飲食”を付け加え、水刺間(スラッカン)で積み重ねた経験が、腕のいい医者に成長することに役立てるという設定にしている。
朝鮮王朝時代には、王族、身分階級の最上位に位置する貴族階級の両班(ヤンバン)、その両班と常民の中間に位置し、科挙の雑科に合格し技術系官職の中人(チュンイン)、農民、商人、手工業などに携わる常民 (サンミン)、奴婢(ノビ)、白丁(ペクチョン)などの賤民(チョンミン)といったピラミッド状の厳しい身分制度が敷かれていた。宮殿には、多くの女官が働いていたが、それぞれが専門職を持ち、全員が王と婚姻関係があるとみなされていたため、生涯を独身で過ごしたそう。
女官になるには、幼いうちに宮廷に入り、まず見習い(センガッシ)として約10~15年の間、働きながら知識を養い、厳しい試験に合格して一人前の内人(ナイン)に なっていった。宮廷に入ってから30数年が経ち、相応しいとみなされたものがけが、宮中の中で最も身分の高い尚宮(サングン)の地位が、側室以外の女官では、最高位の位階である正五品(チョンオプム)が与えられた。
ちなみにドラマでは、水刺間(スラッカン)のまとめ役のことを最高尚宮(チェゴサングン)と呼んでいたが、ドラマが作った設定であり、実際には存在しなかったそう。こうやって長い時間を経ないと、尚宮までになることができないことを考えると、女官は優秀であることはもちろんだが、忍耐力も兼ね備えていることがうかがえる。
一方、医女になるのもそれなりの苦労が。チャングムは王よりテジャングム(=偉大なるチャングム)という称号をもらっているが、実は朝鮮時代の医女というのは、身分の低い奴婢しかなれなかった。第1回のコラムで紹介した通り、儒教を重んじ、男女の立場が明確に分かれていた朝鮮時代では、男性の医者が女性を診ることは禁じられていたため、医女制度が誕生した。それでも身分の高い女性は好んでする仕事ではなかったという。
医女制度は、第3代王・太宗(テジョン)が、奴婢の幼い少女ばかりを数十名集めて、医薬、鍼灸などを教えたことから始まったとされる。ドラマでは、女官だったチャングムが、奴婢に降格して、宮中に戻るために医女になる姿が描かれていくが、水刺間(スラッカン)で学んだ様々な食に関する知識を披露し、数々の試験を合格して医務官たちを驚かせ、その地位を脅かしていった。実際には、チャングムがどのような経過を経て、医女になったか詳しい記録はほとんど残されていないが、王に信頼され治療を任された非常に優れた女性であったことは推測できる。
ポイント③ 韓国料理と銀食器の謎とは?
宮廷女官「チャングムの誓い」では、画面から香りが漂いそうで色味が鮮やかな宮廷料理がたくさん登場し、焼肉、冷麺、唐からし、辛い!だけが韓国料理だけでないということを教えてくれた。食材を生かした健康的な料理は、多くの女性の心をつかみ、今では韓国料理教室に通う人も増えている。
韓国では、健康的な食生活を送るには五味五色が必要だと昔から言われている。五味とは、「辛味・甘味・酸味・塩味・苦味」、五色とは、「青・赤・黄・白・黒」のことをいう。五つの色の食材を5種類の味に味付けした料理を食べることは、バランスのとれた健康に気を使った食生活が送れるという薬食同源の考え方である。
水刺間(スラッカン)では、王の食事を作る厨房ということで、常に五味五色や薬食同源に基づいた体に優しいシンプルな味付けの食事が作られていた。まだ唐辛子が朝鮮半島に渡ってくる前の時代だったので、今のような辛さの強調された料理ではなかったという。また、医女という記録しか残っていなかったチャングムを、こういった薬食同源の知識を持った医女として描いたことは、想像ではあるもののそれほど遠いものではなかったように感じる。<
現在でも食べられている宮廷料理はいくつかあり、参鶏湯(サムゲタン)はその代表である。鶏のおなかに、もち米、にんにく、なつめ、栗、高麗人参などを詰めて煮込んだもので、専門店もあるほど人気の一品だ。土用 の丑の日には、日本ではウナギを食べる習慣があるが、韓国では、この参鶏湯を食べる習慣がある。滋養強壮や風邪予防に効果があり、夏ばてした体によいとされている。
ドラマの中では、盛り付けにもこだわりを見せていて、食器などにも興味が沸く。朝鮮時代の 宮廷では、銀食器や銀の箸など、銀製品が食事の際に使われていた。王座をめぐって陰謀が渦巻いていたので、王は常に命が狙われていた。銀製品を使ったのは、万が一、王の食事に毒が盛られていた場合に、すぐに色が変色する銀の力を頼ったといわれている。現在もこの名残は残っていて、韓国料理屋に行くと、ステンレスの入れ物に入ったご飯、箸、スプーンと出合うことができ、古の文化を体験することができる。
今年の夏、暑くて食欲がないなと感じたら、ぜひ、参鶏湯を食してみてほしい。そして一緒に出される食器類にも注目していただきたい。
ポイント④ ドラマに描かれた王朝の裏とは?
韓国で大ヒットした「宮廷女官 チャングムの誓い」。これまでにあまり描かれなかった女性のサクセスストーリーに、食と医学という興味深い内容を盛り込んで、平均視聴率は47%、最高視聴率57%という韓国TVドラマ史上に残る記録を打ち出した。フィクションではありながら、ところどころに史実に基づいた出来事をストーリーに盛り込み、視聴者を楽しませた。
本作では、主に第11代王・中宗(チュンジョン)の時代が描かれた。歴史書の記録によると、チャングムの生没年不詳。そのチャングムの幼少のころをどう面白く描くかは、脚本家の腕の見せどころであった。
中宗が王になるまでは、歴史的にもドラマチックな出来事がいくつかあった。父親である第9代王・成宗(ソンジョン)の時代、王と第2王妃ユン氏の間には、燕山君がいた。ユン氏は王の寵愛を受けていたが、嫉妬深かったため、王と他の側室の毒殺をたくらんだ疑いや、王の顔を引っかいたことが決め手となり廃妃となる。宮廷から追放されたが、目に余る素行不良により、1482年、王は賜薬を下した。
成宗は自分の死後100年は、廃妃ユン氏を賜死したことは公にしないよう遺言を残したが、後に第10代王となった燕山君が、母親の死因を知ってしまい、それに関わった人物を捕らえて処刑している。この事件を甲子士禍(こうししか/カプチャサファ)といい、ドラマでは、チャングムの父親がその現場に立ち会った武官として描かれている。
その後燕山君は、国防の強化、貧民の救済、書籍の刊行などをしていたが、次第に多数の妓生と遊興し、それを注意する功臣を処刑するなど、悪行が目立ち始めた。その暴政に堪えかねた臣下たちはクーデターを計画。1504年、燕山君は失脚し、異母弟の晋城大君(チンソンデグン)が中宗となった。この事件を中宗反正(ちゅうそうはんせい/チュンジョンバンジョン)と呼ぶ。ドラマでは、臣下から晋城大君への連絡係として、チャングムは酒を運んでいる。宮中に上がれる身分ではなかったチャングムは、そこで王に女官になりたいと直訴もしていた。
王になった中宗は、燕山君が壊した儒教の復興に力を入れていった。朱子学を修めた科挙官僚である士林派(しりんは/サリムパ)を復活させ、趙光祖(チョ・グァンジョ)をリーダーにし、農村社会に儒教を普及させた。しかし、第7代王・世祖(セジョ)の勲臣とその子孫からなる勲旧派(くんきゅうは/クングパ)の反発により、再び士林派は弾圧されてしまう。
宮廷の権力者として描かれていた勲旧派のオ・ギョモは、架空の人物だが、実在した文官で改革家の趙光祖は、オ・ギョモのセリフで名前がたびたび登場している。「宮廷女官 チャングムの誓い」は、実はこのオ・ギョモ、チェ尚宮一族の勲旧派とミン・ジョンホ、ハン尚宮、チャングムたちの士林派の壮絶な権力闘争繰り広げられたドラマともいえる。
ポイント⑤ 服や髪型は身分を示す?
「宮廷女官 チャングムの誓い」をはじめとした韓国の歴史ドラマでは、ドラマチックなストーリーだけではなく、色鮮やかな韓服や装飾品などにも刺激される。
韓服と呼ばれる民族衣装の歴史は、高句麗時代の王と貴族の墓の中の壁画に残されていたことから、高句麗、百済、新羅の三国時代から始まったといわれている。当時、女性たちは男性と同じチョゴリ(上着)とパジ(ズボン)を着用していたが、儀礼などでは、パジの上からチマ(スカート)を着て、美しさを表現したという。初期のころのチョゴリは、長かったが、朝鮮時代に入り、少しずつ短くなっていった。
また、王や王妃の召し物には、刺繍が施されていたり、未婚の娘が赤色のチマに黄色のチョゴリを着るなど、朝鮮時代は韓服の色で身分や年齢も表していた。庶民は白色民族と呼ばれ、白地を使ったものが多かったが、上流階級の人々は、鮮やかな色味を好んだという。顔料がなかった時代だったため、反物は中国から買っていたのでは?ともいわれている。
以前の時代劇では、女官たちは、薄いピンク色のチョゴリに藍色のチマが多かったが、「宮廷女官 チャングムの誓い」では、ガラリと変わった。これは、主演のイ・ヨンエに一番似合う色が緑だったため、水刺間(スラッカン)の女官や医女たちの衣装の色を変えたという。女官見習いのチャングムは、緑のチョゴリに藍色のチマ、女官になったチャングムは琥珀色のチョゴリに藍色のチマ、医女になってからは、薄い緑のチョゴリに藍色のチマを着ているのが印象的だ。
ノリゲというチョゴリにつける装飾品は、昔から階級を問わず、女性たちに愛されていた。恋愛禁止だった女官たちは、恋愛をする代わりに、こういった装飾品を集めたりしたという。「~チャングムの誓い」では、父の形見としてチャングムが大事に保管している。
また王妃や尚宮クラスになると三つ網を頭に巻いたような髪型などでも身分がわかるようになっていた。これはカチェといわれるカツラで、4~5キロもするものもあったそう。朝鮮時代後期に入ると、それが腰に負担がかかり怪我する人が多いということで、第21代王・英祖の時代には禁止になった。
一方、男性にも、見れば官位や役職までがわかるほど、外見にはこだわりがあったという。冠は笠は、カッと呼ばれ、服装とともに「経国大典」(朝鮮時代の政治の基準になった法典)で細かく定められていた。よくTVで見かける両班がかぶっている、縦に長く、翼のある被りものは、カッの一種で、その横からぶら下がっている数珠のようなものをカックンという。その素材だけで身分がわかったそうだ。
時代劇の華やかな身なりは、一視聴者として見るには楽しい。しかし、暑い夏や極寒の中、撮影する俳優たちには相当なの苦労があるようだ。必ずといっていいほど、俳優たちは、その苦労をインタビューなどで答えている。
文/露木恵美子
「宮廷女官チャングムの誓い」<ノーカット版>
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/detail/janggum/