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【 江戸と東京の総鎮守 】パワースポット神田明神と祭神・平将門の歴史

【 江戸と東京の総鎮守 】パワースポット神田明神と祭神・平将門の歴史

一時期「パワースポット」という言葉が流行しました。一般的にはエネルギーが強い場所をさし、そこに行くとリフレッシュできるとのこと。そのため、パワースポット巡りをする人も増えたのだとか。

場所や方角に強い力を見出す考え自体は、日本では有史以来からありました。ただ、強い力は人に害をなすこともあります。そこで人々はそうした「パワースポット」に神社や仏閣を建てて力を鎮め、人や国を守り力づけることを求めました。

そうした社寺のひとつに、神田明神があります。
2016年現在の正式名称は「神田神社」です。この神社の祭りである神田祭は、江戸三大祭、また日本三大祭の一つであることから、全国に名を知られています。
秋葉原の氏神でもあること、遷座400年の節目を迎えた平成27(2015)年には人気ゲーム『ラブライブ!』とコラボしたことから、その筋の人には馴染みある神社なのではないでしょうか。

そんな神田明神は江戸城・皇居の北東に位置し、鬼門を抑え江戸と東京を守る要の一つとして人々から信仰を集めてきた「パワースポット」です。
人あるところに歴史あり。神田明神がどんな歴史を辿ってきたか、そのあらましをご紹介します。

出雲氏族に創建され、関東平氏の信仰を集めた

社伝によれば、神田明神の創建は天平2年(730)年のこと。
出雲氏族である真神田臣が出雲を代表する神・大己貴命を祀ったのがはじめとされています。

が、神田明神の祭神として有名なのは平将門でしょう。
将門は10世紀前半に活躍した武将で、死後は関東に住む平氏一門から篤い信仰を集めました。
ですが将門の首が葬られた墳墓の周辺で異変が頻発し、嘉元年間(14世紀初頭)、鎌倉執権・北条師時の時代には疫病が流行します。そこで人々はこの神社に平将門の霊をも祀るようになりました。北条氏は平氏。平将門の死から400年経ってなお祀ったあたりに、将門への根強い信仰がうかがえます。

平将門

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徳川家から始まる江戸総鎮守としての信仰

将門に祈願すると勝負に勝つと言われ、戦国時代には太田道灌や北条氏綱など、関東の武将たちは神田明神を大切にしてきたそうです。
豊臣秀吉の命で江戸に入った徳川家康も、例外ではありません。

関ヶ原の戦いに際して家康が戦勝祈願をすると、見事勝利。以降徳川家は神田明神を手厚く保護し、元和2(1616)年には現在の位置である江戸城の北東に遷座し、江戸の守りの要としました。ちなみにこの時、社伝の造営は幕府によって行われています。

明治維新後も氏子たちは篤く信仰した

明治維新によって江戸城の跡地が皇居とされると、神田明神に“苦難”が押し寄せます。
平将門は生前「新皇」を自称し、関東に覇を唱えた武将。天皇に弓引いた者として、皇居を守護する神社の祭神にはふさわしくないとされてしまったのです。明治7(1874)年には祭神から外され、代わりに大己貴命の相棒として語られることの多い少彦名命が祀られます。

が、氏子達はこれに反発。懸命な活動の末、神田明神の境内摂社に将門を祀って信仰を繋げていきました。戦後の昭和59(1984)年には少彦名命に次ぐ第三神として本社に復帰し、現在に至っています。

以上、祭神・平将門を中心に神田明神の歴史のあらましを見てみました。
支配者や住民の意識がダイレクトに影響して祀られ方が変わっていて、土地の生々しい歴史がうかがえるようです。

余談ながら、神田明神は徳川家康によって遷座される前は現在の将門塚周辺にあったのだとか。
現在も様々な曰くが生まれ続ける将門塚。それは元々の土地の力が強いパワースポットという影響もあるのかも・・・と考えると、また面白いものが見えてきそうですね。

参照元:神田明神公式ホームページ

(Sati)

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