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みなさん今日はおやすみでしょうか?
今日は以前より書きたかった「戦国大名というお仕事」について、枻出版社の「戦国武将 武具と戦術」や、ウェブなどを参考に調べてみました。

ちなみに本書は、監修の小和田泰経先生が写真やイラストを豊富に使い、ビジュアル的にも武具や合戦についてわかりやすくまとめてあります。
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鎌倉時代の元寇が生んだ戦国武将

前述の「戦国武将 武具と戦術」を見ると、戦いが変化したのは鎌倉時代、元が日本に攻めてきた元寇から。

『蒙古襲来絵詞』前巻、絵七。引用:wikipedia
『蒙古襲来絵詞』前巻、絵七  引用:wikipedia

平安末期、源平合戦のころは「やあやあ我こそは云々・・・」と身分を名乗り合って一騎打ちしていたようですが、鎌倉時代に元(モンゴル)が襲来した元寇のとき、その集団で戦い方を目の当たりにし、いくさは武士以外の一般人が参加するものに。

さらにこのあと南北朝・室町時代から戦国へと、戦い方の変遷とともに、人々の価値観も「下克上」に象徴されるような「勝てば官軍」というふうに変わったようです。
この頃の価値観は「武士道」に象徴されるような儀式的・観念的なものではなかったんですね。

真田一族も、信濃一体の人心掌握のために一族の系譜に名族、海野一族のブランドを活用したらしいことを、仙台真田家第十三代当主の真田徹さん著「真田幸村の系譜」で読みました。

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それこそ豊臣秀吉のように、農民から天下人になれるようなチャンスもある時代ですから、よくも悪くも戦国時代とはスゴイ時代です。

戦国大名は政治家・役人としても優秀でなくてはならない

群雄割拠の戦国時代、戦国大名は戦闘集団の長でありながらも、自国を収める政治家でもあったわけです。

また領民は、土地を守ってもらう代わりに戦にも参加、税金(年貢)などを収めるという一種の「契約」が成立していたのです。

そうなると、職業軍人である武士たちはともかく、領民はその領主(戦国大名)の政策によって生活が変わるわけで、それが兵の士気や動きにも関わってくるのは当然。

希代の名将 武田信玄。引用:wikipedia
希代の名将 武田信玄。引用:wikipedia

戦国最強といわれた武田信玄は、立派な信玄堤をつくったりして、甲州の治水などに尽力。

甲府盆地中央部を流れていた釜無川の信玄堤。引用:甲斐市役所HPより
甲府盆地中央部を流れていた釜無川の信玄堤。引用:甲斐市役所HPより

信玄は有名な名言なども多く残るように、政治家としても立派な人だったからこそ、部下はもちろん、領民の信が厚く、それが最強の武田軍団をつくったのでしょうね。

このように戦国大名というと、合戦のときだけが物語としてフォーカスされがちですが、税金の管理(財政管理)や、他国との折衝(外交・営業)、戦の準備(商社)、城の普請(建設)などもろもろの決済や事務仕事を普段兼務でこなさなければならないわけで、それを全て決めなきゃいけない大名ってホント大変なお仕事ですね。

さて、あなたはやってみたい?

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今日は戦国武将というお仕事についてちょっと書いてみました。
いかがでしたでしょうか?

なんとなく想像できてはいたものの、調べてみれば確かにそうだよなあ〜、という感じではなかったでしょうか。
戦でカッコいい戦国武将というお仕事、想像以上に大変そうです。
どうですか?あなたは挑戦してみたい?

このショートコラム、個人的には戦国のみならずたくさん調べたいことがあるんですが、それこそとりとめもなく長くなっていきそうなので、テーマを少しずつ変えながら、不定期で連載していきたいと思います。

読者のみなさんも「ふーんそうだったのか〜」くらいにゆるくお付き合いくださいね。

編集長Y

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