【人気ナンバーワン武将】伊達政宗を愛した多くの女性たち

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【人気ナンバーワン武将】伊達政宗を愛した多くの女性たち

先日行った歴史人人気投票でもお分かりの通り、戦国の人気武将ナンバーワンの呼び声も高い伊達政宗公
そんな政宗公人気が加速したのは、大河ドラマ史上屈指の人気を誇る、1987年に放送された「独眼竜政宗」です。
東北の一地方の英雄だった伊達政宗を、一気に全国区にのし上げた作品だと言っても過言ではないでしょう。
そのモテっぷりは当時も同様。伊達政宗は生涯記録されているだけで正室と7人の側室を抱え、十男四女を設けました。それでは、政宗を愛した女性たちと、そのエピソードをご紹介しましょう。

架空の側室『猫の方』のモデルとなったのは?

大河ドラマでは、不思議な女性が側室で登場しました。その名も『猫の方』です。
名前からして、実在の人物だとは思えませんよね。実はその通りでして、『猫の方』は架空の人物なのです。

このような人物を出したのには理由があります。
この『猫の方』は、庶子である秀宗(宇和島伊達家藩祖)の母になるのですが、秀宗の母と言われる人物が、政宗の側室である新造の局か飯坂の局のどちらなのかわからないのです。
時代考証に厳格なNHKが、ならば架空の人物で、と考えたのかどうかわかりませんが、思い切った設定で『猫の方』を出したのでしょう。
今風の大河ドラマの走りだったといえるのかも知れません。

最愛のパートナー、正室の愛姫

政宗の正室・愛姫(めごひめ)
政宗の正室・愛姫(めごひめ)

政宗の生涯で最良・最愛のパートナーなのは、やはり正室・愛姫でしょう。
愛姫は、三春の田村清顕の一人娘でした。田村家は、日本初の征夷大将軍・坂上田村麻呂にたどり着く名門でしたが、当時は周辺の芦名家や相馬家に圧されて苦しい状況でした。
この苦境から脱するため、田村家では伊達家の力を借りたかったのです。この政略結婚で伊達家に輿入れしたのが、愛姫でした。

しかし、田村家側の事情も複雑でした。
伊達政宗は、小手森城のなで斬りなど数々の行いで、東北一体に衝撃を与えていました。
この政宗と組むのは、かえって周辺の大名から狙われて、田村家を滅ぼしてしまうと考えた一派が、政宗暗殺を計画。

この一派のなかには、愛姫の侍女や乳母がいたため、夫婦仲もギクシャクしてしまいます。しかし、政宗は愛姫に時間をかけて接し、愛姫も次第に政宗に心を開いていきます。そしていつしか政宗と愛姫の間には愛情と信頼の絆ができました。

関ヶ原の戦いの折には、大坂で人質になっていた愛姫が、政宗に宛てた手紙で、『私のために家の去就を決めるようなことがないよう』に求め、『常に(自害用の)懐剣を持っているので、何があっても家の名を辱めることはない』と覚悟を伝えています。

まあ、政宗はその言葉通りに、関ヶ原の戦いの折には徳川方に組しながら、上杉景勝と裏交渉し、南部領内で一揆を扇動するなど結構好き勝手してるのですが、これも愛姫の覚悟あってこそ……だというのは言い過ぎなのでしょうか。

これまでにも、東北南部の有力諸大名を全て敵にして戦った人取橋の戦い、豊臣秀吉への面会の遅参、秀吉の惣無事令違反とも言える一揆の扇動など、命がいくつあっても足りない修羅場を政宗の傍で経験してきたのです。
幾多の困難を超えた政宗と愛姫の仲にひびが入ることはありませんでした。

1636年、太平の世になって、政宗もついに亡くなります。
その後1653年、愛姫も当時としては長寿の84歳で亡くなりました。侍女たちが愛姫の遺品を整理していると、不思議な文箱が見つかります。中を覗くと、そこには政宗が愛姫に宛てた手紙の数々が入っていました。中には、政宗の幼いころの文字の手習いまでもがありました。政宗の全てが愛おしかったのでしょう。

「墓所は、仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿」
「墓所は、仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿」

政宗の死後、17年間、時折亡き夫の手紙や手習いなどを見て、愛姫は時折、思い出に浸っていたのでしょうね。
愛姫の遺品から感じられる政宗への思慕の想いに周囲は感動したのです。

(黒武者 因幡)

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