沖縄の首里城は、歴史好きな歴人のみなさんはほぼご存知かと思います。
中国と日本の交易を行う重要拠点として栄えた琉球王国の栄華の証として、たくさんの観光客の方が訪れる観光名所で、2000年には日本で11番目の世界遺産に登録されました。
今回副編集長Yは週末を利用して初めて首里城を取材してきました。
あ、あくまでも今回は歴人マガジン読者のみなさんのため、自費出張です(笑)
さておき、この首里城、あまりにも立派で素晴らしかったので、みなさんにもレポートさせていただきます!
■首里城の歴史について
首里城の創建は14世紀ごろと言われていますが、正確な年号は分からないようです。その後1406年に尚巴志は琉球王国支配の居城として登場します。
その後1609年に日本の薩摩藩が3000名の軍勢をもって琉球に侵攻し首里城を占拠され、それ以後270年間にわたり琉球王国の表向きは中国の支配下にありながら、内実は薩摩と徳川幕府の従属国であるという微妙な国際関係の中で存続していました。
江戸幕府が瓦解後、1879年に明治政府に明け渡されるまで約500年に渡り琉球の栄華盛衰を見つめてきた首里城は、最近では1945年の沖縄戦で砲撃を受けて4度目の焼失。戦後は琉球大学が置かれていましたが、多くの人の悲願で1992年に本土復帰20年を記念して復元されたものです。
■首里城の概要
首里城公園の全体の面積は約5ヘクタールとのことですが、一般公開されているのはまだ一部。今なお復元中で、「行政空間」「祭祀空間」「生活・儀礼空間」の3つに分かれて段階的に再建されていく予定だそうです。
それにしても立派な城郭。王の宮殿である正殿に行くまで6つもの門で分けられており、当時の琉球王国の力を感じるつくりです。
正殿と南北殿を中心に建てられている建造物は、ご覧になってお分かりのように、赤を中心にした極彩色で彩られ、中国の影響を色濃く感じますが、建築方式は日中の折衷から生まれた独特の琉球建築といわれる手法が用いられています。
そのため中を巡回すると、部屋などは日本の城と同じ畳の部屋が多数あり、まさに折衷なのだと感じさせられます。なかでも圧巻だったのは展示されているジオラマ。来賓が来た際や国王の訓示などを行う儀式が忠実に表現されています。
■沖縄について
誤解を恐れずに言えば「沖縄は本当に複雑だ」ということを感じました。
そもそものオリジナルが本州とは明らかに違うわけで、それは多かれ少なかれ沖縄の人の意識に根強く残っているであろうこと。
そして太平洋戦争の凄惨で悲しい体験を、それぞれが自己消化するなかで形成されている空気。
沖縄に住んだことのある複数の友人から「沖縄は本州と同じ日本人だと思う人と、独立しているのだという人が分かれている」とも聞きました。
こちらの格好でも寒いくらいのあいにくの天気ではありましたが、真夏のビーチばかりを想像してしまう能天気なYにとってみれば、今回は沖縄を違った意味で深く感じることのできた旅でした。
首里城は一見の価値あり!ぶっちゃけで恐縮ですが、ここまで見ごたえのある場所だとは思いませんでした。。
沖縄の歴史を感じることができる本当に素晴らしい名勝ですから、ぜひぜひ皆さんもビーチや青い空だけでなく、沖縄を歴史にちなんだテーマに巡る旅をおススメします!
副編集長Y
参照元
「首里城公園−海洋博公園」オフィシャルサイト
「首里城」wikipedia
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