今や訪日外国人がお土産に買い求めるなんてことも珍しくないほど人気な日本の高機能トイレ。その快適さは「おもてなし文化」としても評価されつつあります。
その多機能ぶりが海外メディアでも取り上げられる「トイレ先進国」の日本ですが、どういった過程を経て現在の形と成ったのでしょうか?気になるトイレの歴史を追ってみましょう。
厠の語源、やっぱり最初のトイレは川です
縄文時代~奈良時代(紀元前約14000年頃~794年)は多くの場合、川で用を足しており、「川屋(かわや)」からトイレを表す「厠(かわや)」という言葉が生まれたとされています。
ただ古事記・日本書紀の中には、皇子が厠で命を狙われる場面なども複数描写されており、ある程度区切られた専用の空間が存在していたと考えられています。
排泄物は川ですべて流れてしまうため、非常にエコな水洗トイレなのです。
トイレへの意識が高まる平安貴族
平安時代(749~1185年)に入ると、貴族の間では「樋箱(ひばこ)」というおまるが使用され始めます。
漆塗りが多かった樋箱は、高価なものであれば「蒔絵(まきえ)」などの装飾も施されていました。樋箱は使用するたびに洗浄し清められており、「比須万之(ひすまし)」や「樋洗い」と呼ばれる樋箱を洗う専属の女性が公家などの上流階級の邸宅には必要不可欠な存在でした。
平安時代後期には、上流階級の邸宅にいわゆる「ボットン便所」が備え付けられる事もありましたが、庶民は一般的に外で用を足していたようです。
トイレを使ったエコビジネスが確立された江戸時代
戦乱の乱世を経た鎌倉時代から江戸時代(1185~1868年)、徐々にトイレ環境も整備されていきます。
というのも、溜まった排泄物は農作物を育てる肥料として活用するためです。
富裕層は栄養価の高い食事を摂取していることから、高級住宅地から出る排泄物は一般庶民のものよりも高価で取引されていたそう。
一般庶民が生活する長屋には共同のトイレが設置されており、環境に優しく効率的な「エコビジネス」が成立していたおかげで、江戸の町は清潔に保たれていたんですね。
それだけでなく、日本では昔から厠神(かわやがみ)と呼ばれるトイレの神様がおり、むやみに排泄物を投げ捨てると罰が当たるという意識があったと言われています。
また琉球王国など南方では、排泄する場所がブタなど家畜の餌場として繋がっており、排泄物がそのまま家畜の餌となる仕組みのトイレも多く存在していました。
明治以降の近代に入れば、欧米から「洋式トイレ」が伝わり、ウォシュレットといった洗浄機能や暖房便座などといった進化に繋がっていきます。
「環境やニーズに合わせた多様なトイレ作り」が得意なのは日本人ならでは。「トイレの神様」なんて歌も流行りましたが、日本人としてその精神を忘れずに、これからも世界に誇る「トイレ大国・日本」でありたいですね。