映画「キングダム」の公開が、いよいよ4月19日に迫った。累計発行部数3800万部を超える原泰久氏による漫画の実写化作品として注目を集める本作。中国ロケも行なわれ、主演・信を演じる山崎賢人らキャスト陣が「身を削る思いで撮影に挑んだ」と語るなど、大作の匂いを存分に感じさせてくれる。今やおそしと待っておられる方も多いだろう。
映画公開で、ますます話題の「キングダム」だが、このほど舞台である中国大陸を訪ねてきた。実際に「政」こと始皇帝や、「信」こと李信たちが躍動したであろう場所のいくつかを、写真とともにご覧いただきたい。
始皇帝の兵馬俑坑
「キングダム」の舞台となると、やはり最初に降り立ったのは中国・陝西省(せんせいしょう)にある西安(シーアン)。遣隋使や遣唐使が訪れた都市としても有名である。古くは西周から秦、漢、隋、唐の都が置かれ、その呼び名も「西都」「鎬京」「咸陽」「長安」など、めまぐるしく変遷してきた。日本人にとっては漢や唐代の「長安」、そして秦の時代の「咸陽」という呼び方がなじみ深いかもしれない。明の時代から「西安」と呼ぶようになったが、かく言う私も古い名前の「長安」と呼んでしまいたいぐらい。
そんな西安の第一の観光地といえば、やはりここ。西安の中心地から北東30kmのところにある始皇帝の兵馬俑坑(へいばようこう)である。兵や馬をかたどった俑(人形)を収めた坑のことだ。本来は秦の始皇帝陵の副葬物に過ぎないのだが、あまりに規模が巨大、かつ2000年以上前の出土物が大量に出たことで、1970年代に発見されてから瞬く間に巨大観光地となった。その知名度と人気は、エジプトの三大ピラミッドや、カンボジアのアンコールワットなどにも引けをとらない。
8000体にも及ぶ兵馬俑。実在の兵士たちをモデルにしたというその造形は、顔も体型も一体一体、異なる。兵士だけでなく文官もいれば、将軍をかたどったものもある。やはり将軍は立派な体格で、顔にも威厳がある。みな、当時は顔料で彩色されていたが、発掘されてからみるみる退色してもとの土の色になってしまった。最近では、出土した兵馬俑にラップを巻いて色を保護しているという。
実は司馬遷の『史記』には、始皇帝陵のことは書かれていても、この「兵馬俑坑」については触れられていない。これを作り埋葬したのは始皇帝ではなく、二代皇帝胡亥だったのか、漢の時代には存在が知られていなかったのかもしれない。おそらくは始皇帝こと嬴政(えいせい)が亡くなった際、彼が従えていた大軍勢をモデルに、そのまま地下軍団として埋葬されたものと思われる。
いわば、映画「キングダム」では、この軍隊が実際に動いて戦うかのような光景が見られる――。そう考えるだけで、なんだかゾクゾクと総毛立つような感覚を覚えた。
世界遺産にもなったので、いつ行っても観光客で一杯だが、この日は朝一番の9時に飛び込んだので、それほどでもなかった。兵馬俑坑では、研究者チームたちが連日調査を行なっており、この日も現場でその様子を垣間見ることができた。1号坑から3号坑まで見つかった兵馬俑坑は、出土品だけでなく、その構造から何からまだまだ調査中で、日々新たな情報がもたらされているようだ。
これは銅車馬。始皇帝が乗った馬車(轀輬車)を模したと伝わるものだ。兵馬俑とは別に陵墓の西から20mほど離れた場所で発見された。地下7.8メートルのところから、4頭立ての二輪馬車が2台出土。御者も1体ずつ見つかったが、兵馬俑と異なり等身大ではなく、1/2サイズだった。銅製ゆえに原寸大で造ることが難しかったのだろうか。1980年に発見されたときは大幅に破損していたが、1年かけて復元され現在は兵馬俑博物館で公開されている。
兵馬俑博物館を出て、すぐ近くの集落へ向かった。ここにいらっしゃるのが、兵馬俑の第一発見者のひとり、楊志発(よう しはつ)さんだ。1974年3月29日、6人で井戸を掘っていたところ、兵馬俑の一部を発見。以来、一躍「時の人」となり、1990年代から2000年代まで名誉館長として兵馬俑博物館に勤務。主に観光客との記念撮影やサインに応じていた。御歳78歳の今は博物館を離れ、自宅の土産物屋で静かに暮らしている。
「1mほど掘ったら赤く硬い土が出てきた。それから、いきなり人の首みたいなものが出てきたので、ビックリしたというより、なにか不吉なものが出てきたな、という感じがしたよ。そうしたら、等身大の像だったのと、青銅の矢まで出てきた。いったい何だろうと思ったけど、それからしばらくして大騒ぎになってね。そんな重要なものだとは、まったく思いもしませんでした」
楊さんは、私が購入したガイドブックにサインを入れながら、気さくに当時のことをそう話してくれた。現地の役人たちも最初は重大発見と思わず放置していたが、2ヵ月ぐらいして通信社の記者たちに見せたところ、やっと大騒ぎになったという。
こちらが兵馬俑を発見したさいに使用した鍬。歴史的な発見の当事者となった貴重品だ。
始皇帝陵
さて、兵馬俑を見たからには「本体」の始皇帝陵も訪ねなくては。ということで、兵馬俑坑から1.5kmほど西に離れた陵墓へ。つまりは始皇帝の墓だが、なにしろ規模が大きい。入口から陵墓へ行くまでにずいぶんな距離を歩かなくてはいけない。一見ただの公園だし、兵馬俑坑と違って具体的に何が見られるというわけでもないので、こちらは観光客の姿も少ない。
始皇帝陵は、驪山(りざん)の北側に巨大な土盛りがされる形で築かれた。一見、ただの山である。『史記』によれば、始皇帝が埋葬された玄室は珍宝に満たされ、まわりには水銀の川や海が造られ、人魚の脂の灯が置かれた……など他に類を見ない形の陵墓であるという。
もちろん、その部屋は地下深くに設けられており、発掘されてもいないため、内部が本当にそうなっているのかはまったく分からない。発掘したとしても、現代の技術では単に陵墓を破壊してしまうだけになるため、中国政府はいまだ発掘に手がつけられないでいるそうだ。その代わり、リモートセンシングという技術を使っての内部調査がされ、それによれば地下30mのところに空洞があり、墓室は崩落などせずに残っているという。
近い将来、発掘がされて始皇帝こと「政」がこの地上に再び姿を現す日が来るのかもしれない。もちろん、墓の発掘は死者への冒涜にあたることだし、今のように地下に眠らせたままにしておくほうが最善という考え方もある。けれども、水銀の海に珍宝……一度でも史記を読んだことのある人なら、その記述がどこまで本当なのか、気になるところかと思う。
始皇帝が拠点を置いた咸陽の宮殿跡
さて、次に向かったのは始皇帝・政が拠点を置いていた咸陽の宮殿跡。西安から北西の位置にあり、始皇帝陵から車で大体1時間のところ。西安市に隣接して「咸陽市」という形で、その名前は今も残っている。近くに「西安咸陽国際空港」があり、咸陽は空港の名前にもなっている。昔の地名そのままというのが、中国という国のすばらしいところだ。
とはいっても、秦が栄えたのは2200年前のこと。やはり今は何もない。そこは草木が生い茂る空き地と、小高い丘があるだけだった。その丘の部分が「一号宮殿遺跡」と呼ばれ、おそらく玉座……当時はまだ玉座はなかったようなので、政が腰かけ、李信や李斯(りし)、王翦(おうせん)といった臣下たちに命令を下していたところだろう。何もないけど、そんな想像を逞しくしながら歩くのが史跡めぐりの醍醐味なのである。
李信の出身地とされる槐里
咸陽市を横切って、さらに西進。また1時間ほど車を走らせたところに、興平市という街がある。咸陽市の隣に位置するその街の一角に、槐里(かいり)という地名を見つけた。槐里。この名前にピンと来た方はおられるだろうか。
実は槐里とは、「キングダム」の主人公のモデル、李信の出身地ではないかとされているところ。その根拠は『史記』李将軍列伝にある。これは、李信というより、前漢の飛将軍・李広(りこう)や、李陵(りりょう)の事跡について記した一章だが、そこに「李広の先祖・李信は、もともと槐里(陝西省興平市)にいた人で、のちに成紀(甘粛省)に移る」と、はっきり書いてある。
今は、槐里という町や集落はなく、ただ「槐里東路」という通りの名前にそれが残っているだけ。ちょっとさびしい限りだが、通りにある店のおばちゃんに聞き込みをすると「あたしは違うけど、ウチの夫の姓は李だよ」と言った。「李」姓の人は、この通りにも多いという。それもそのはずで、中国では「張・劉・陳・王」と並んで最も多いといわれるから、まあ当然か。
通りをぶらぶらしていると、「この近くに、昔から有名な大きな槐(えんじゅ)の木がある」という話が聞けた。車で北へ10分ぐらいかかるというが、せっかくなので向かってみる。そこには確かに大きな槐の木が建っていた。「槐里」ではなく「槐蔭地」と呼ばれるその集落は、書いて字のごとく、昔から大きな木がいっぱいあったそうだ。
今は一本になってしまったが、なるほど「槐里」と呼ぶにふさわしいのかもしれない。それでも、この槐の樹齢は約800年。李信の生きていた時代には遠く及ばないが、彼ももしかしたら、こういう木の陰で生まれ育ち、武芸の稽古に励んでいたのかもしれない。漫画「キングダム」の主人公・信の顔が、ようやくここに来て脳裏に強く浮かんできたような気がした。
史実(史記)における李信は、彼自身の列伝はなく、王翦列伝や荊軻列伝でその活躍が記されているだけに過ぎない。いわば「脇役」の形だが、主に王翦に従って、その副将のひとりとして充分な活躍をした。紀元前226年、燕へ出兵した際はその太子である丹を討ち取り、燕を滅亡に追い込んだ。楚との戦いでは大将となるも項燕が率いる楚軍に惨敗する。が、その後も始皇帝に重用されたようで、代や斉を攻め滅ぼす戦いに参加。ところが、その後は歴史上から忽然と姿を消してしまう。
謎めいた将軍・李信は、現地でさえもその名前を知る人は少ない。忘れられてしまった存在ともいえる。しかし、彼の血を引いた李広や李陵は英雄として語り継がれ、その源流として重要な存在であることには変わりがない。今回は映画「キングダム」にちなんで政・信に関する一部の史跡だけに絞ったが、また機会があれば李信および、その血を受け継いだ李広、李陵。そして彼らから連なる歴史や血脈について語ってみたいと思う。
文・上永哲矢
映画「キングダム」
公開:2019年4月19日(金)全国東宝系にてロードショー
原作:『キングダム』原 泰久(集英社「週刊ヤングジャンプ」連載)
監督:佐藤信介 脚本:黒岩勉 佐藤信介 原泰久
出演:山﨑賢人 吉沢亮 長澤まさみ 橋本環奈 本郷奏多 満島真之介 阿部進之介 深水元基 六平直政 髙嶋政宏 要潤 橋本じゅん 坂口拓 宇梶剛士 加藤雅也 石橋蓮司 大沢たかお
公式サイト:https://kingdom-the-movie.jp/
Ⓒ原泰久/集英社 Ⓒ2019映画「キングダム」製作委員会
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