9月2日は宝くじの日。由来はもちろん「9・2(くじ)」の語呂合わせで、昭和42(1967)年に定められました。
この日は、1年間のハズレ券を対象に「宝くじの日お楽しみ再抽選」が行われます。いわば宝くじの敗者復活戦日。
そんな宝くじですが、いつからどのような理由で始まったのでしょうか?
世界の宝くじは国家主導が始まり
くじを購入させ、当選者には賞金を与える宝くじ。世界的には、財源確保を目的に国家が始めたものです。
紀元前3世紀には漢の初代皇帝・劉邦に仕えた軍師・張良が、万里の長城建設費を賄うために「白鳩票」という宝くじを発行したと言われています。
ローマでも、紀元前1~紀元後1世紀に初代皇帝・ユリウス・カエサルが宝くじを発行しました。
現代の宝くじのシステムは、15世紀に各地で確立したようです。
日本の宝くじこと「富くじ」は寺社と結びついて発展
日本最古の宝くじの記録は、戦国時代の天正3(1575)年、もしくは江戸時代初期の寛永元(1624)年頃と言われています。
現在の大阪府にあたる摂津国の箕面山瀧安寺で行われました。
どういうものだったかというと・・・
まず松の内に参詣した人が、木札に自分の名前を書いて唐櫃に入れます。
7日になると住職が唐櫃を3回突いて3枚の木札を取り出し、当選者にお守りを授けた、とのことです。
最初は当選者にお守りを授けるだけだったものの、次第に当選「金」が出るようになったことで「富くじ」として氾濫します。
幕府からの禁止令が出るなか、寺社の修繕費用を賄う目的のものだけは許可されていたそうですが、非合法のくじも多く実施されていたのだとか・・・。
その後、天保の改革で富くじは全面的に禁止され、その姿勢は明治政府にも継承されました。
なんと100年近く禁止されていたんですね。
終戦とともに再スタート
復活したのは、昭和20(1945)年。第二次世界大戦末期に、軍事費を調達する目的で「勝札」と呼ばれる宝くじが販売されました。
ですが当選番号が発表される前に終戦を迎えたため、皮肉を込めて「負札」と呼ばれたそうです。
戦後間もない昭和20(1945)年10月には、インフレ防止を目的に、改めて宝くじが政府から販売されました。
「宝くじ」という言葉は、この時初めて使われました。
翌年の昭和21(1946)年、今度は戦後復興を目的に各都道府県から宝くじが販売されます。
以降、日本では各自治体が宝くじを販売するようになりました。その後も様々な目的やシステムを持つ、いわば宝くじの多様化時代を迎えて、現在に至ります。
江戸時代に起きた“宝くじ”当選者のトラブル
「宝くじを買うことは、夢を買うことだ」と言う人もいますが、実際に宝くじが良くも悪くも人生を大きく変えることもあります。
江戸時代には富くじによって財政が豊かになった寺社の中から、吉原に通う僧も現れました。
当時は女犯と言って戒律を破る行為だったようですが、ここに目をつけたのが河内山宗春という人物です。
彼は吉原に通った僧の証拠を掴んでは脅し、口止め料として金銭を巻き上げていたそうです。
宗春はさらに、財源確保のために闇富くじの販売に手を付けた水戸藩をも脅しの対象にしたと言われていますが、こちらについては実際のところ不明のようです。
ただ、この話を元に歌舞伎では『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』などの演目になっています。
海外では当選者向けにトラブルを避けるための講習まで開かれているようです。
宝くじに当たったら、くれぐれもその扱いには気をつけましょう。
(Sati)